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4. シャンポリオンの話 その4

   *「シャンポリオン伝」

     

   河出書房新社から刊行されている本です。上下2巻。
   ジャン・ラクチュール/著、矢島文夫・岩川亮・江原聡子/訳
   著者はフランスの著名な伝記作家のようです。

   関心はあるんですが高い!上下巻で 3990x 2=7980円也(税込み)
   当分は買う予定なしであります。

   Jump to 1. シャンポリオンの話 その1 *「未来への遺産」
   Jump to 2. シャンポリオンの話 その2 *ロゼッタストーン


2005年04月23日 16時23分12秒

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3. シャンポリオンの話 その3

   *「ロゼッタストーン解読」

   

   新潮社から刊行されている本です。
   レスリー・アドキンズ,ロイ・アドキンズ/著、木原武一/訳。
   原題は「The Keys of Egypt The Race to Read the Hieroglyphs」
       エジプトの鍵 ヒエログリフ解読競争

   著者はイギリスの考古学者・古代史家。
   2002年3月刊行なんですが1年以上知りませんでした。いやはや、うかつうかつ。

   ナポレオンによるエジプト遠征の、しつこいなぁと言えるくらいのコト細かな説明から
   始まります。
   1799年7月19日、西部デルタ地方のロゼッタという地で (現地名はラシッドRashid )
   要塞を修復していたドプールというフランス兵が、建物の一部に使用された石にエジプト
   の古代文字が刻まれているのを発見しました。これがロゼッタストーンです。この村は、
   ナイルの支流ボルビニティクの岸の、海から数キロ入ったところにあります。

   この本を読んでわかったことは、
   ・ ロゼッタストーンがシャンポリオンの解読作業に貢献したのは、直接的には王の名前
    を表記するカルトゥーシュ(楕円形の枠)だけであったこと。
   ・ カルトゥーシュ Cartouche の語源は、その形から、弾丸の薬莢を意味するフランス
    語からきていること。ナポレオンのエジプト遠征に参加した兵士たちが名付けたそう
    です。英語でのカートリッジ Cartridge ですね。
   ・ 光の研究や物性値ヤング率で知られるトーマス・ヤングが、シャンポリオンの業績
    を批判しつつもヒエログリフの解読に関してヤングなりの実績(ヒエログリフが表音
    文字を基礎としていることを最初に証明し、ファラオの名を特定した)をきちんと挙
    げていること。
   等々です。

   ここ数年、ヒエログリフのみをきちんと解説した本も出版されています。
     「ヒエログリフ入門」
     吉成薫/著、弥呂久社/刊
   もその1つです。

   数千年前の古代エジプトの歴史を語ってくれるヒエログリフ。その関連書籍がいろいろ
   出版されるのは、シャンポリオンのファンである私にとって大変うれしいことです。
   地味な本を出版してくれた出版社さんに感謝いたします。

   Jump to 1. シャンポリオンの話 その1 *「未来への遺産」


2004年05月16日 23時15分39秒

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

   
2. シャンポリオンの話 その2

   * 大英博物館とルーブル美術館にて

   1993年 4月、ロンドンとパリに行きまして、美術館を見まくるという旅行をしました。
   ロンドンでは、大英博物館、テート・ギャラリー(現 : テート・ブリテン)、ナショナ
   ル・ギャラリーの3つ。
   パリでは、ルーブル、オルセー、ポンピドゥセンター(パリ国立近代美術館) の3つ。

   今、思えば、装飾美術館にも行っておけばよかったなぁと悔やむことしきり。なにしろ
   ここはルーブルの展示室がある建物の一番 片すみにある美術館でアールヌーヴォーの
   殿堂とも言える所なのです。

   
  オルセー美術館の入場券。
  電車の切符のようなシロモノです。
  2.8 x 5.1 cm
   
  ルーブル美術館の入場券。
  黒1色のシンプルさですがセンスいいです。
  10.2 x 5.4 cm
   
  ポンピドゥーセンターにある国立近代美術館の
  入場券。ブランクーシの「空間の鳥」を見るこ
  とができて感激でした。
  20.3 x 8.2 cm

   ロンドンの大英博物館、テート・ギャラリー(現 : テート・ブリテン)、ナショナル・
   ギャラリーは寄付金で運営されており、入場無料なので入場券はありません。

     
 * ロゼッタストーン

 そして大英博物館での一番のお目当てがロゼッ
 タストーン。
 いやはやデカいシロモノでしたねぇ。材質は黒
 い花崗閃緑岩(従来は玄武岩とされていました)
 で、寸法は、高さ114cm、幅72cm、厚さ
 28cm、重さ762kgであるとか。

 地下の企画展示場では、ハワード・カーター展
 をしていてラッキーでした。その展示室に行く
 通路の途中にミュージアム・ショップがあり、
 壁に接した棚の最上部にロゼッタストーンのミ
 ニチュア(レプリカ)があるではありませんか。
 ウッ、欲しい〜と思ったものの値札がない、尋
 ねる勇気なし(笑)。ということで、ロゼッタ
 ストーンの日本語版解説本を買っただけでした。
 ロゼッタストーンの拡大図は こちら
 
   パリに行き、ルーブルを5時間50分かけて3階から地下まで全フロアを見たあと
   ( ノドが渇いて大変でした、2つしかない館内カフェはいつも満員(^^; )、ミュージ
   アムショップに行くと棚の高い所にまたロゼッタストーンのミニチュア(レプリカ)が、
   、、こりゃもう買うしかない!店員のオバハンに声をかけて、あれが欲しいんだと伝え
   ると、レシートのような紙切れを渡されレジに行けとの指示。首をかしげつつレジに行
   って紙切れを渡すと、薄くて赤い箱がでてきました。陳列棚の商品は見せるためだけで、
   購入する客にはレジの奥にある在庫から商品を渡す、というシステムなんですね。
   それからルーブルを出て、ポンピドゥセンター(パリ国立近代美術館)に行く前にすぐに
   売店でミネラルウォーターを購入しました!

   

   
 
 << 将来、パリに行ってルーブルをじっくり楽しみたいなぁ
   と思っているそこのアナタッ! 入館前にペットボトル
   で水を用意しておきましょう(経験者談)。行けども
   行けども美術書で見たことがある美術品があるんですよ、
   マジで。あきれ果てます。
   サモトラケのニケやミロのヴィーナス、モナリザ、ミケ
   ランジェロのダビデ像に会えて感動した〜と思っていた
   らなんのなんの、アングル、ウッチェロ、ダヴィッド、
   ピサネロ、フォンテーヌブロー派、ボッス、ルーベンス、
   ワトーが目の前にあるんです。特にピサネロの「ジネヴ
   ラ・デステ」(左上図)と、ボッスの「愚者の船」(左下図)
   をまぢかに見ることができて感激でした。

   私が訪れたときはリシュリュー翼(セーヌ川から見て遠
   い側の直線部分)を展示室にするための拡張工事中で、
   いろいろな作品が一時的な避難として、壁全面にベニヤ
   板を貼った部屋に展示されており、ヤン・ファン・エイ
   クの「宰相ニコラ・ロランの聖母子」、クラナハの「風
   景の中のヴィーナス」、ボッスの「愚者の船」等々が無
   造作に掛けられている様子にはビックリしました。
   今はそれが完了し、古代オリエント美術の展示(ハムラ
   ビ法典等々)が充実したそうで、総展示面積は私が訪れ
   たときの1.5倍になっています。 >>

   ホテルに帰り箱を開けてみると、ミニチュア(レプリカ)とロンドンで買った解説本の英語
   版が入ってまして期せずして同じ本の和洋 両バージョンが揃ってしまいました。日本語版
   には付録として、ミニチュア(レプリカ)よりも ひと回り大きい (29.5x42.0cm) シートが
   ついています。

       
       英語版          日本語版         付録のシート

   このミニチュア(レプリカ)のサイズですが、タテ32cm、ヨコ25cm、厚さ1.4cmの
   ちょうどいい大きさ。ヒエログリフもギリシャ文字もはっきり彫られています。ルーブル
   で購入したものが下の写真。中も外も赤い箱に入れて販売されています。右は裏側で、
   吊り下げ用の金具がついています。

     

   下の写真は箱の裏側。大英博物館のシールが貼られています。右がシールのアップ、ルー
   ブルでの販売品なので大英博物館のシールを覆うように白いシールが貼ってありました。
   写真はその白いシールが劣化し剥がれた状態です。この箱、表側も裏側と同じでなぁ〜
   んにも印刷されていません。

     

   で、帰国すると横浜美術館でルーブル美術館展をやっていて、さっそく行ってみると、
   ショップでロゼッタストーンのミニチュア(レプリカ)を売っているんですよ。ルーブル
   で買ったものとまったく同じもの。でも価格は2万円。私がルーブルで買ったときは1
   万円で入手できたので、おトクな買い物ができた次第。


   ***追記(04/10/28)

   大英博物館で手に入れたガイドブック

    「THE ROSETTA STONE」日本語版
      大英博物館エジプト部 Carol Andrews/著
      ほるぷ教育開発研究所/訳
      British Museum Publications Ltd./原著出版・翻訳校閲

   からの受け売りで紹介しますと、ロゼッタストーンの高さは114cmですが、本来の形
   は上部が丸形で、高さが5〜6フィート(152.5〜183cm)であったと考えられる
   そうです。

    元の形はこんな感じだったそうです

   碑文は、エジプト語とギリシャ語の2種類の言語、3種類の文字体系で書かれています。
   ・ 上段、14行はヒエログリフで書かれており、
   ・ 中段、32行はデモティク(民衆文字)。
     これは、ヒエログリフから派生した草書体の文字であるヒエラティクを簡略化し、
     改良してさらにくずした、もっとも草書体化されたもので、紀元前 643年頃から
     ヒエラティクに代わって、宗教的な文書以外のすべての用途に使われるようになった
     もの。
     (パピルスにヒエログリフを書くのは大変な根気と緻密な作業を要求されました。そ
      のため草書体が考えだされ、これがヒエラティク(神官文字)です。元は神官が
      使った文字であったので、こう呼ばれました)
   ・ 下段、54行はギリシャ語の大文字で書かれています。

   ミニチュア(模型)をズームアップしたのが下の写真です。
    左がヒエログリフの部分。
    中央がヒエログリフの最下部とデモティクの冒頭部分。
    右はデモティクの最下部とギリシャ語の冒頭部分です。

     
     

   ヒエログリフの特徴は、表音文字(例:かな、カタカナ)と表意文字(例:漢字)に加え、
   限定詞で構成される文字体系であることです。限定詞は発音されず、同音異義語を区別
   するために単語につけられます。
   原則としては右から左に読みますが、左右どちらからでも読み書きできる文字です。
   どちらが文頭なのかは動物の形をした文字が向いている方向でわかります。ロゼッタ
   ストーンの場合、動物が右を向いていますので、右から左に読みます。デモティク
   は右から左に読みます。

   ロゼッタストーンのヒエログリフには王(ファラオ)の名を表すカルトゥーシュ(楕円形
   の枠)が6箇所ありますが表記が違っていても、すべて プトレマイオス を意味します。
   下の左のカルトゥーシュは「プトレマイオス」のみの表記ですが、右では「永遠に生き
   る、プタハに愛されし者」という称号がついて表記が長くなっています(プタハは創造
   の神の名で、職人や建築家の庇護者)。

     

   ギリシャ語部分の9行めにある「プトレマイオス」がこちらです(上のギリシャ語冒頭
   部分の写真でも確認できます)。

   


   では、どのようなことが書かれているのか? ですが、

   紀元前204年から180年までエジプトを支配したプトレマイオス5世エピファネスの戴
   冠式1周年記念祭に、エジプト全土からメンフィスに集まった聖職者たちによって選ば
   れた長老たちの総会で決議された法令の写しの1つです。
   エジプトと外国で、エジプトのために行った業績に対する返礼として、エジプトの諸神
   殿からプトレマイオス5世に贈られる栄誉についてのもので、聖職者の恩恵、特に経済
   的なものについて詳細に書かれています。また、神殿の維持や神聖な動物の埋葬など、
   儀式を行うための法律が記載されています。
   この王は、治世の第8年に正式に戴冠し、戴冠記念の1周年祝典は第9年、正確には 
   紀元前196年3月27日に開催されました。12才で即位したそうです。

   プトレマイオス王朝時代、大半の公用文書はギリシャ語と古代エジプト語の2ヶ国語で
   作成されていました。というのも、この王家の人々や政府高官たちは、エジプト人では
   なく、マケドニア系ギリシャ人であったためです。

   日本語版ガイドブックにはギリシャ語部分の日本語訳全文があり4ページにわたる長文
   です。ギリシャ語部分の訳を掲載したサイトがあります。内容を知りたい方は、
   無限∞空間 / 別館【エジプト神話研究所】 / ロゼッタストーンについて で どうぞ。

   ロゼッタストーンから得られたプトレマイオスのヒエログリフと、1815年に発掘され
   たフィラエ島のオベリスクに刻まれたプトレマイオス9世の王妃クレオパトラ(有名な
   クレオパトラの先祖にあたる人物)のヒエログリフとの比較検討によって、シャンポリ
   オンの解読作業は大きく前進しました。

   シャンポリオンは、デモティクが音節を表していて、ヒエログリフがコプト語の音を
   表していることを突き止めました。そして、ロゼッタストーンを利用してヒエログリフ
   のアルファベットを作って公開しました。他の学者たちもシャンポリオンの研究をもと
   にして完全な翻訳を試みました。
   シャンポリオンの研究の正しさは1866年に発見された、ヒエログリフ、デモティクと
   古代ギリシャ語で書かれた石碑「カノプス勅令」の翻訳による照合で証明されました。

   Jump to 3. シャンポリオンの話 その3 *「ロゼッタストーン解読」


2004年03月31日 07時24分52秒

◆ ◆ ◆ ◆ ◆
   

1. シャンポリオンの話 その1

   *「未来への遺産」

   1974年3月から1975年12月にかけて、NHKが放送開始50周年の記念番組、「未来への
   遺産」を放送しました。世界各地の遺跡を取材したもので、毎月1回の放送が楽しみで
   楽しみで、、、
   その後、レーザーディスク(LD) として発売されましたが、私がLDのコレクションを始
   めた頃には店頭から消えたところであったため、全8巻を揃えるのにちょいと手間がか
   かったものです(現在は DVDでリリースされています)。その8巻のうち、何度も繰り
   返し見たのが 第2巻のB面(放送では第4回)、サブタイトルが「天は語らず人をして
   語らしむ」。この回では、ランダとシュリーマンとシャンポリオンをとりあげています。

     
   LD 未来への遺産 第2集

      <<<
      2020年度になり、NHKが「未来への遺産」の4Kリマスター版をBS-4Kで放映
      しました。翌年4月からは、2KのBSプレミアムで放映が始まりました。
      フィルム撮影による番組ですので、リマスターの効果は充分で、週1回の
      放送がありがたいです。2021/05/12               >>>

         ◇  ◇  ◇            ◇  ◇  ◇

   ランダ Diego de Landa 1524-79 はスペインの聖職者で、スペインが侵攻していたユ
   カタンでカトリックの布教活動をしました。彼は布教が思うように進まないことに腹を
   たて、なんとマヤの古文書を焼き払ってしまいました。後にその行為を反省し聞き取り
   でマヤ文字の資料「ユカタン事物記」を残しました。

   << ランダの蛮行から逃れた絵文書 ( イチジクの木の樹皮などを屏風折りにしたもの
     に書かれています ) は4点あり、それぞれ、ドレスデン絵文書、パリ絵文書、マ
     ドリッド絵文書(下図)、グロリア絵文書と呼ばれています。

     

     ドレスデン絵文書(ドレスデン・コデックス)から、数字を表す文字がいちはやく
     解読され古代マヤの驚異的な暦が明らかになりました。また、この絵文書からマヤ
     の人々が金星を詳細に観測し、その周期を戦闘の予兆として暦に反映していたこと
     がわかりました。その後、研究が進み現在ではおよそ8割のマヤ文字が読めるよう
     になっているそうです。
     マヤの絵文書(コデックス)について、より詳しく知りたい方は
     マヤ遺跡探訪/マヤのコデックス  でどうぞ。>>

         ◇  ◇  ◇            ◇  ◇  ◇

   ハインリッヒ・シュリーマン Heinrich Schliemann 1822-90 は、8才のときに牧師で
   あった父親からクリスマスプレゼントとして贈られたイェラー著「子供のための世界史」
   を読み、トロイ落城の挿絵(下の右のイラスト)に強い印象を受けました。トロイの勇士
   アイネイアスが老父アンセキスを背負い、幼児のイスカニオスの手をひいて城を去る情景
   です。この時、少年シュリーマンは父親に、「大きくなったら絶対にトロイの遺跡を発掘
   するんだ」と宣言したそうです。そして長じて、神話と考えられていたトロイを発掘した、
   として世界的なニュースとなりました。

       

    

   
  彼は貿易商として成功したのち、その資産をもとに発掘を行っ
  たわけですが貿易商をやめたとき世界各地を旅行し、1865年
  には中国(当時は清)や幕末の日本にも来ました。日本に来た
  とき、街中で鼻紙を使う娘を見て、その使い捨ての衛生的発想
  に感心したとか。当時のヨーロッパではハンカチを繰り返し使
  うのが一般的であったためです。この旅行は本にまとめられて
  おり、

     「シュリーマン旅行記 清国・日本」
      ハインリッヒ・シュリーマン/著、石井和子/訳
      講談社学術文庫

  で読むことができます。

  1870年、トルコの北西部にあるヒサルリックの丘に着目し発
  掘を開始しましたが、その発掘は乱暴なもので、3500年にわ
  たる9つの時代の遺構を掘り返し、下から2番目(現在、第2
   市と呼ばれる)をトロイア戦争時代のものだと推測したものの、後の発掘で実際のトロイ
   ア戦争時代の遺跡は第7層A(下から7番目の層)であることが判明しました。第2層は
   実際にはトロイア戦争時代より約1000年ほど前の時代の遺跡で、これにより古代ギリシャ
   以前に遡る文明が、エーゲ海の各地に存在していたということをも証明したそうです。
   その際、発掘した各層の記録をきちんととらず発掘を進めたため、考古学者からは批判が
   高いそうです。しかし、どこからの援助も受けず、すべて自前の資金で進められた発掘で
   世界中にセンセーションを巻き起こし、考古学への関心を高めた功績は多大であると言わ
   れています。学術的な意味で、功罪両面で極端な例というべきものでしょう。

   この「ヒサルリックの丘」、現在では世界遺産に登録され、今でも発掘調査が進められて
   いるとか。しかし、今ではトロイの遺跡であるかは疑問である、というのが定説のようで
   す。シュリーマンがトロイの財宝であると考えた黄金の遺物も、その後の調査でまったく
   異なる時代のものであると分析されているそうです。

   シュリーマンの言葉
   「才能とは、エネルギーと忍耐力以外の何ものでもない」

   << 1988年、ドイツの考古学者であるマンフレッド・コーフマンがリーダーとなり、
     大規模な再調査が行われました。
     古代ギリシャの詩人ホメロスの長編叙事詩「イリアス」に描かれているトロイ戦争
     によると、ギリシャ連合軍は10年にわたりトロイを攻めました。しかし、シュリ
     ーマンが発掘した都市の規模では、長期に及ぶ攻撃に対する持久力が疑問視されて
     いました。しかし、コーフマンらによる磁気調査により、ヒサルリックの丘を大き
     くとり囲む城壁跡が発見されました。これにより丘を中心とする城塞都市の規模は
     より大きいものだったことが確認されました。
     ヒッタイト帝国の遺跡から発掘された楔型文書によると、ヒッタイト軍がウィルー
     シャと呼ばれる地に遠征した記録が残っています。この文書にはウィルーシャの地
     下水路についての記述がありますが、ヒサルリックの丘の地下水路の壁から採取し
     たウランを質量分析機で年代測定したところヒッタイト軍の遠征の時期と近いもの
     だったそうです。 >>

         ◇  ◇  ◇            ◇  ◇  ◇

   ジャン=フランソワ・シャンポリオン Jean-François Champollion 1790-1832 は、古代
   エジプトのヒエログリフ(聖刻文字、神聖文字)を初めて包括的に解読した人です。
   「ヒエログリフ hieroglyph」は、ギリシャ語で神聖を意味する「ヒエロス」と、刻むを
    意味する「グリュペイン」からきています(出典:知の再発見双書「文字の歴史」 p.31
   創元社)。この謎の文字は古代エジプト王朝が滅んだ後、4世紀末には完全に消滅していて
   18世紀末当時のヨーロッパでは各国の学者が熾烈な解読競争をしていました。この解読
   競争を加速したのが、かの有名なロゼッタストーンの発見です。この石碑には、謎の文字
   ヒエログリフとギリシャ文字が併記されていたため、ヒエログリフの解読が飛躍的に進む
   ことが期待されました。
   
  シャンポリオンが生まれた年の1月に母親が重病に
  なり、リウマチ痛でほとんど麻痺していたため医者
  もサジを投げていたところ、ジャクーという、その
  地方の治療師が呼ばれました。そして薬草を用いた
  治療が功を奏し、回復してきた様子を見て、
   「彼女は完全に回復し8年ぶりの出産では
    あるが、何世紀にも渡って名声を博する
    息子を産むであろう」
  と予言したそうです。そして、その年、1790年12
  月23日の早朝に生まれたのがシャンポリオンです。
  ちなみに7人兄弟の末っ子でした。
   シャンポリオンの両親は子供たちの教育に熱がなく、12才年上の兄ジャック=ジョゼフ
   が教育面で面倒をみていました。1801年3月、小さい頃から読書好きで語学の才能をみせ
   ていた弟ジャン=フランソワを、兄ジャック=ジョゼフがその才能を伸ばす為に自身が赴任
   していたグルノーブルに呼びます。語学の才能を示していたものの気分屋で、学習の進捗
   にむらがあった弟に、ジャック=ジョゼフが送った手紙にはこうありました、
    「もし、こちらに来て私といっしょにいたいのなら、ちゃんと勉強しなさい。
     無知は何の役にも立たない」    
   
   1802年、ナポレオンのエジプト遠征に参加した最も著名な学者の1人で、カイロ学士院
   の責任者であったジャン=バティスト=ジョゼフ・フーリエが、エジプトから帰国して数
   ヶ月後にイゼール県の知事としてグルノーブルに赴任しました。知事としての業務の1つ
   に公立学校を視察する仕事があり、訪れたある学校でシャンポリオンを知った彼は、少年
   を県庁に招き、エジプトについて話し、遺物を見せました。この時、シャンポリオン11
   歳。最初は緊張して何もしゃべれなかったものの、石やパピルスの断片に記されたヒエロ
   グリフを見て、この古代の文字を研究して解読したいと思っていること。そしてかならず
   成功してみせます。と言って部屋を出ました。

   彼がマスターした言語は、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、シリア語、
   カルデア語、イタリア語、英語、アラム語、ペルシャ語、中国語、コプト語等ですが、
   (ドイツ語はマスターできなかったそうです)、コプト語を身につけたのは大きな意味が
   ありました。話し言葉として、古代エジプト語から発展したのがデモティクで、それから
   発展したのがコプト語だからです。
   シャンポリオンは、ロゼッタストーンの中段、デモティクが音節を表していて、ヒエログ
   リフがコプト語の音を表していることを突き止めました。

   「未来への遺産」では、兄ジャック=ジョゼフの子孫が住んでいた部屋を取材しており、
   シャンポリオンが自分の名前をヒエログリフで書いた壁が紹介されていました。過去、
   何度も壁を塗り直したものの、そのヒエログリフだけは元のままの状態で大事に保存
   されてきたそうです。

   シャンポリオンが生まれたフランス南西部・ケルシー地方のフィジャックという町には、
   この偉大な人物を記念して、いたる所に、シャンポリオン広場、シャンポリオン通り、
   と名前を冠した場所があり、そのネームプレートも番組で紹介されていました。

   
   
 1832年、シャンポリオンは41才2ヶ月という若さで亡くなりました。
 パリのペール・ラシェーズ墓地には、彼にふさわしいオべリスクによる
 お墓があります(左図・上)。                      
 彼の死後、わずか1週間後にフィジャックの議会はセレ川のほとりにシャ
 ンポリオン記念碑を建設する決定をして募金活動を開始しました。4年後
 フィジャックに隣接する採石場から切り出された石材で、オベリスクが建
 てられました(左図・下)。
 台座の下部の4面には青銅製のプレートがはめ込まれていて、それぞれ、
 奉献碑文、記念碑文、エジプトのレリーフ(寓意的なものと歴史的なもの)
 となっているそうです。
 土台には、ブリキ缶が収められていて、以下のものが収蔵されているそう
 です。 
   1.ヒエログリフのアルファベットの音価や注釈などを含む、シャンポリオンのエジプト
     語文法が印刷されたパピルス
   2.1832年 3月11日に出された市の決議書と、記念碑建設委員会のメンバーの一覧
   3.メダル類
      記念碑のために国王ルイ=フィリップから内務大臣を通じてロット県の知事に送ら
      れたものやシャンポリオンがエジプトから持ち帰ったプトレマイオス�祇い瞭疾愁�
      ダル等(記念碑建設の計画は建設委員会から発表され、ロット県(フランス南西部
      の県)の知事から所管の大臣に提出されました)
   4.シャンポリオンがエジプトで発見した女神イシスの小像、スカラベ、護符などの古代
     遺物

   月のクレーターには、シャンポリオン、ジョゼフ・フーリエ、トーマス・ヤング、と命名
   されたものがあるそうです。フーリエはシャンポリオンのヒエログリフ研究を後押しした
   人物で、フーリエ級数やフーリエ変換で有名なあの数学者です。ヤングは解読におけるラ
   イバルです。この人は物性値の1つであるヤング率でも名を残しています。また、小惑星
   にもシャンポリオンと命名されたものがあるそうです。
    月のクレーター
     シャンポリオン--直径58km 1970年承認
     フーリエ--------直径51km 1935年承認
             段丘壁の一部がクレーターで壁の長さ3.7km
     ヤング----------直径71km 1935年承認
    小惑星 シャンポリオン
     発見----------1983年2月19日
     発見者--------ローウェル天文台 エドワード・ボーエル
     軌道長半径----2.190 AU
     近日点距離----1.968 AU
     遠日点距離----2.412 AU
     離心率--------0.101
     公転周期------3.24年

   1986年、フィジャック市は、シャンポリオンの生家を買い取り、シャンポリオン博物館と
   して公開しました。その後、拡張工事がなされ、現在はヨーロッパで唯一の文字の博物館
   となっています。
   詳細は、メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド/シャンポリオン博物館 でどうぞ。

   Jump to 2. シャンポリオンの話 その2 * ロゼッタストーン
   Jump to 3. シャンポリオンの話 その3 *「ロゼッタストーン解読」


2004年03月11日 07時00分11秒



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